ハーメルン
剣八の墓標
ドロップアウト


『ええ、そうでしょう。周りの人々が幾ら傷付こうとも動かなかったこの心の初めてそれを欲するに至った切っ掛けが、他ならぬ自身の窮地に依るもの等と』

 自らの醜悪な性情は重々理解しているといったふうに自嘲し、女は粛々と言を紡ぐ。

『天示郎……()し貴方が許すのであれば、どうか私に回道を教授してくれませんか。私は初めて、真に”疵の痛み”を知りました。この痛みを、苦しみを癒す術を知りたい。そしてどうしてか、他人のそれをも理解しなければならないと想うようになったのです』

 無論、時間はかかるでしょうが。
 そう締め括られた言葉を聞いた麒麟寺は、眉根に皺を寄せたままそれ以上を語ることはしなかった。

『剣八は……』

 未だに動揺が抜け切れていない吼翔を差し置き、恐る恐るという調子で輔忌が呟く。

『母さんも、”更木の少年”も名乗る資格を逸した。それで失われた、宙吊りになった剣八の名は、どうなるのですか』

 結論から言って、現在の吼翔が抱えている動揺の殆どはこの問いが齎したものである。この事実は……護廷最強と言われた戦闘部隊の副官にまで上りつめた男にとってさえ、とても受け止めきれるような事ではなかったからだ。
 
『私は、十一番隊長を辞します』

『次の隊長に相応しいのは、吼翔、貴方を置いて他に居ないでしょう』

『そしてこれは……無論、荷が重いと感じるならば断ってくれても構いませんが』



—— “剣八”の名を預かる覚悟があるならば ——




「……………………」

 卯ノ花が倒れたと聞いた時点で、少しでも考えなかったかと言われると嘘になる。
 十一番隊副隊長。剣八に最も近い男は他ならぬ自分であると、自他共に認める立場に彼は居た。

「俺は……」

 自惚れている訳では無い。
 埋めようもない実力の差が彼我の間に横たわっているという現実は良く理解している。だからこそ、果たしてこの提言を受けてもいいのだろうか、この身に余る”名”だろうか、と。自らに向けられた疑念は精神を揺さぶり、止め処無く噴き出し続ける。

「っ?」

 と——背中を預けていた小屋の戸がガタと動き、体の重心がずらされた事で前方向へとよろめいた。
 中の二人が出てきたのだろうか。そう思って後ろへと目を向けると、そこへ顔を出したのは輔忌一人であった。

「…………」

「……吼翔副隊長」

 暫し向き合う両者。
 果たして、先んじて口を開いたのは輔忌であった。

「お受けするつもりですか、あの話を」

 そう来るだろうというのは薄々分かっていた。
 態々一人で聞きに来た。それはつまり、母親の名を継ぐ男へとその心意を測りに来たのだろう。真っ直ぐにこちらを見据える瞳に応えるため、吼翔は静かに、しかし確固たるものを持って告白した。

「”剣八”は——先代を討ち取って初めて受け継がれる血塗られた名だと、卯ノ花隊長は常に言うとった」

「ええ」

「もし俺がその名を預かるとすりゃあ、それは卯ノ花隊長を越えた時だと……ずっと、そう。ずっと思っとった。だが、そうはならんみたいだなぁ……」

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