ハーメルン
SIREN2(サイレン2)/小説
第十四話 『悪夢』 三沢岳明 夜見島/瓜生ヶ森 1:09:57

 三沢岳明は、古いアパートの部屋にいた。

 夏の夕方だった。西日が射し込み、部屋の中は燃えているかのように赤い。あるいは、血に染まっているようにも見えた。窓も、ドアも、隙間なく閉ざされている。エアコンはついているが、吐き出されるのは冷風ではなく温風だった。その真下に、古いメカ式の扇風機が置かれ、強風で室内の空気をかきまわしていた。部屋の中央にはこたつが置かれている。布団は掛けられておらず、赤々と燃えるヒーターが丸見えだった。こたつの上には黒電話が置かれ、けたたましいベルの音を鳴り響かせている。三沢は、自衛隊支給の迷彩服を着て、黒電話の前に正座していた。全身から汗が噴き出すが、それは決して部屋の暑さによるものではない。三沢の目は、正面の電話ではなく、左手側の押し入れのふすまに向けられていた。ガタガタと激しく揺れている。エアコンや扇風機の風が当たっているわけではない。閉め切っていたふすまがわずかに開き、隙間から、小さな手が出てきた。子供の手だ。焼け焦げたかのように黒くくすんでいた。だが、それは焦げているのではなく、泥にまみれているのだということに、三沢は気付いていた。手はふすまのふちを持ち、開けようとしている。しかし、何かに引っかかっているのか、開かない。ふすまがガタガタと揺れる。三沢が見つめる。見ちゃだめ……。誰かに言われた気がした。少女の声だった。誰かは判らないが、その声に従うことにした。ふすまから目を逸らす。黒電話が鳴る。こたつが赤々と燃える。扇風機が空気をかきまわす。エアコンが熱風を吐き出す。西日が射し込む。夏の夕方。ふすまはガタガタ揺れている。横目で見た。ふすまはさっきよりわずかに開いていた。その隙間から見える押し入れの中は、底しれぬ深い闇だった。見ちゃだめ。また誰かに言われた。目を逸らす。ふすまがガタガタと揺れる。電話が鳴る。汗が噴き出す。電話が鳴る。電話が鳴る。汗が噴き出す。電話が鳴る。ふすまが揺れる。見ちゃだめ。電話が鳴る。ふすまがガタガタと揺れる。ふすまがガタガタと揺れる。ふすまがガタガタと揺れる。

 耐えきれず。

 三沢は立ち上がると、押し入れの前にしゃがみ、ふすまに手をかけた。

 なににも引っかかることなく、ふすまは静かに開いた。

 押し入れの中には、何もいなかった。ふすまに引っ掛かるものも、小さな黒い手の主も、底知れぬ闇も、なにも。

 西日はいつの間にかやわらかな光へと変わっていた。エアコンからは涼風がそよぎ、扇風機も微風で部屋の空気を循環させる。こたつのヒーターは外され、電話も鳴りやんでいた。

 三沢は安堵の息を吐いた。

 その、背後で。

 泥まみれの幼女が立ち、三沢を見つめていた。

 幼女は、音もなく顔を近づけ、そして。



「……見ちゃだめって言ったのに。これで、おじさんも……になっちゃったね」



 耳元でささやいた。

 その瞬間。

 何も無かった押し入れが、底知れぬ闇と化した。その闇の中から泥まみれの黒い手が伸びてきて、三沢の腕を掴んだ。それが、ものすごい力で引っ張る。押し入れの中に引きずり込もうとする。足を踏ん張り、抵抗する三沢。押し入れの中からもう一本手が伸びて来て、反対側の腕を掴んだ。引きずり込もうとする。抗う。さらに手が伸びてきて、三沢の足を掴んだ。さらに手が伸びてくる、今度は首を掴まれた。さらに手が伸びる、手が伸びる。手が、手が、手が……いくつもの手が三沢を掴む。闇に引きずり込まれる。

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