第十六話:強くあらねば
走って
走って
赤坂を抜けて人里離れた山へとやって来た夢乃の瞳は、雪原のような銀色に輝いていた。
普段はただ猫のように黒目が縦長になるだけであるが、血に飢えると瞳の色が変わる。
鬼としての性質が増した証だ。
(急がなければ。何か……何か……)
山を駆けて見つけたのは小さな兎。
夢乃の気配を察して跳ねたが、それよりも早く彼女は動いた。
剣を抜かず、素手で兎の頸を掴むと──折った。
ゴキっという音と共に、兎はピクリとも動かなくなる。
その腹に夢乃は喰らいついた。
どくどくと溢れる血を一滴たりと零すまいと啜る。
あらかた血を吸いつくすと、肉を引きちぎり貪った。
生暖かく、嫌な味がする。
どんなに嫌だと思おうと、鬼としての本能がそれを許さない。
今目の前にある命を喰いらい、飢えを、渇きを癒す。
ぽろぽろと零れ落ちる涙。
泣きながら、夢乃は兎を貪る。
骨を残して全てを食べつくしてもまだ足りない。
新たな餌を求め、夢乃は立ち上がった。
ふらふらとした足取りで山を彷徨い、陽が出るまでに他に三匹の獣を喰らった。
着尽くした着物は汚れ、獣の血に染まっている。
「……ん。新しく着物を買っておいて、よかった」
そう呟く夢乃の瞳は、いつもの蒼紺色に戻っていた。
ここではない、どこか遠くを見つめる彼女に表情はなかった。
(関わるな。二度と関わるな。次に奴が傷ついていようと、もう助けるな)
自分にそう言い聞かせ、夢乃は陽光を避けるために深い森へと入っていく。
人間に関われば関わるほど、いつか自分が人を襲うのではという恐怖があった。
だからこそこの百年間、珠世や愈史郎以外の者とは関わって来ていない。
鬼を滅しながらも鬼殺隊に存在を知られないよう、常に気を配って来た。
もっとも、鬼殺隊の者に出会えば確実に斬り合いになるだろう。
一見すると人とそう変わらぬ風貌をしていても、鬼殺隊には分かるのだ。
鬼独特の気配が夢乃から発せられていることが。
これまでも何度か死にかけの鬼殺隊を救ったことはあったが、全て気を失っている状態でだ。
意識のある者を助けたことはない。まして鬼殺隊の者と口を利いたこともなかった。
焔色の瞳を持つ者は、全てを見透かすように彼女を見つめてくる。
内に抱く絶望と恐怖、怒り、憎しみを曝け出される気がして、それが夢乃には恐ろしかった。
ただひたすら生き、鬼を屠る。
いつか鬼の始祖を倒すために──鬼の始祖が倒される日が訪れるように。
ただそれだけを願って生きて来た。
それ以外にはない。
それ以外があってはならない。
そう心に決めてきた彼女にとって、自分の弱さを悟られなくはなかったのだろう。
ふと足を止め東の空を振り返れば、山間から朝日が昇ろうとしていた。
その光は暖かく、あの目に似ている。
じゅっと焼ける音がして、彼女の肌が火傷する。
くるりと踵を返すと、夢乃は速足に太陽から逃れた。
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