恋、焦がれ
胡蝶カナエが、隠である彼女と出会った時、強烈に印象に残ったのは、その目だった。美しい目の女性だ、と思った。真っ直ぐで理性的で、冷たいとも言えるような瞳だ。
「……怪我人を、お連れしました」
ペコリと頭を下げながらそう言った彼女と目が合った時、カナエは首をかしげた。
どこかで会ったことがある気がする。
どこだったか――?
「胡蝶様?」
「あ、ありがとう。すぐに診るわね」
訝しげな様子で声をかけてきた彼女に、慌ててそう答える。彼女は静かに頷き、次の仕事へと行ってしまった。
事後処理を担当しているらしい彼女は、蝶屋敷に怪我人を運んでくる事が多かった。その度にカナエは彼女と顔を合わせた。
「いつもありがとう」
「……」
カナエがお礼を言うと、彼女はペコリと頭を下げる。いつも口数は少なく、必要以上の会話をしない女性だった。
隠である彼女はいつも頭巾で顔を隠している。そのため、素顔は知らない。知っているのは、凛々しく冷たい瞳、そして、その声だけだ。女性としては少し低めで、淡く、かすれたような不思議な声だった。多分年齢はカナエとそこまで変わらないのだろう。恐らくは、自分と同じか少し年上かしら、とカナエは想像した。
物静かな彼女の印象が変わった日のことは、よく覚えている。
その日、蝶屋敷は息つく間もないほど大忙しだった。
大きな戦いがあった。たくさんの隊員が命を落とした。怪我人も多く、カナエはもちろん蝶屋敷で働く者全員が総出で怪我人の手当てと治療に取り掛かっていた。そんな中、怪我をした一人の隊員が治療を拒否し、今にも戦場へ戻ろうとしていた。
「ダメです!動いては……っ」
「傷が深いのです、いけません!」
蝶屋敷の少女たちが必死に止めようとしている。しかし、今回の任務で、同期であり仲のいい隊員を鬼に殺されたらしいその青年は、その顔に憎悪を宿しながらベッドから立ち上がり屋敷から出ていこうとしていた。
「うるさい!俺は、治療なんてしている暇は、ない!!鬼をブッ殺しに行くんだ!……絶対に、許さねえ!」
顔を歪めて、大声で青年が叫び、少女達の静止を振り切って、屋敷から出ていこうとする。カナエが慌てて駆けつけようとしたが、その前に、彼を止めたのは、蝶屋敷に怪我人を運んできた隠の彼女だった。
「――お待ちを」
青年の肩を強く抑えて声をかけていた。
「あなた様の、今の仕事は、一日でもお早く、怪我を治すことです。お気持ちは、分かります……しかし、どうか、ご容赦を……」
その言葉に、青年は激昂したように言い返した。
「うるさい!鬼と戦えないお前に、何が分かる!!」
カナエが声をかけようとしたその時、彼女が再び口を開いた。
「――そうです。戦えません。しかし、思いは同じです」
その不思議な声が、淡々と言葉を紡いだ。
「私は、……“持たざる者”です。鬼を倒し、人を救いたい。しかし、私には……できない。その力が、ない。想いだけでは、叶わない。――あなた方は持っている。あなた方は、私よりもずっと、強い。しかし、怪我も治さず、無闇に飛び込んでいくそれは、強さではございません……無謀と強さを履き違えないでください。怒りの感情で、……心を燃やし尽くしてはいけません」
カナエは止めるのも忘れて、彼女を見つめた。彼女の、目。それは、いつもの冷たい瞳ではない。そこには小さいが炎のような輝きが、確かに宿っていた。
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