ハーメルン
中世農民転生物語
春の備え

 畑を少し広げる事となった。麦畑ではなく裏庭の野菜畑である。無論、独断ではなく両親と話し合っての判断だった。

 無理をしない範疇で畑を広げたい。野菜なら手入れは麦ほど手が掛からぬ。また仮に失敗したとて、麦ほどには大きく生活に影響せぬ。損なったとしても精々、わたしの草臥れ儲けで済むだろう。
 
 裏庭の畑仕事の休憩中、訥々とした口調で提案したところ、なんと両親、あっさりと頷いてくれた。曰く、作付を増やすのは考えたが、今までは手が足りなかったとの事だ。時折、母が裏庭の手入れをするのを目にしていたが、やはり野菜畑を広げたいとは思っていたのだろう。

 両親の言葉は全く道理であって、大地を拓いて農地とするには、畑の手入れとは別種の手間暇が必要となる。幼子たちの面倒を見つつ、畑を広げるなど中々やれる事ではない。曲がりなりにもわたしが働き手と数えられる年齢に達したことで、ようやくに畑も広げられる目算もついた訳だ。誠に結構な話である。

 しかし、元より考えが一致していたとは言え、子供の拙い提案に曲がりなりにも耳を傾けてくれたのは、やはりありがたい話である。十かそこらの子供では、何を言おうが殴りつけて黙らせる親も村に幾らかはいて、時代的にはさほど酷い扱いでもないのだから、穏やかに話を聞いてくれる父には頭が上がらぬ思いであった。それとも、これは現代人が持つ所謂偏見であって、人の本質は何時の時代もそう変わらず、中世でも子供と対話する親はかなりの割合でいたのかも知れぬと、つらつらどうでもいい事に思いを馳せたりもする。

 作るのは人参や蕪など寒さに強く、多少、土が痩せていようとも育てやすい野菜が主体で、仮に鳥や獣に荒らされたり、多少の虫が湧いたとしても、それなりの収穫を期待できる。
 秋以降は、食糧事情も多少改善されるだろう。具体的には、税を納めても日々のスープの具が一人頭3~4口は増えそうだ。少ないと思うなかれ。我が家は五人家族で一年は365日も御座るのだ。

 とは言え、畑を広げるにも元手となる種や苗も必要だし、予め入念に土壌の手入れをしなければならぬ。裏庭の空いてる場所を一気呵成に全て畑に、と言う訳には中々いかない。
 無論のこと労働量も増える。野菜が育つには水が必要不可欠で、毎日の水汲みも増える。水は重たい。言うまでもなく、相当の重労働である。村の幾つかある井戸には滑車すらない。中世かと思ってたけど古代なのだろうか?

 生える雑草やら湧く虫やらも間引かなければならない。1日たりとも気が抜けない。農作業とは、まったく根気が必要、かつ実に手間ひまがかかるもので、事前の入念な計画と弛まぬ努力が不可欠な上、臨機応変の判断まで要求される。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ。美味い食事を思えば、苦にならないとは言え、もう少し楽をしたいと思うのも人情であった。

 まずは裏庭に蔓延る雑草を刈り取るところから始めよう。土中の根を断つのに使うのは片刃の鶴嘴に似た不格好な掘り棒で、金属製どころかなんと石器であった。当然だが、これが大変に使い勝手がよろしくない。前世で家庭菜園に使っていた五本指のピッチフォークが如何に洗練された工夫の産物であったかを思い知らされる日々である。

 ともあれ、これから僅かばかりとは言え畑を広げる予定も立ち、かなり食糧事情は改善する見込みとなった。秋まで生き残ることができれば、冬もなんとか乗り越えられるだろう。


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