09 - 絵画世界1
膨らんだお腹を抱え、ベルカはアノール・ロンドのテラスでシフとともに遠吠えの練習をしていた。自称、ロードラン史上最も頭の悪い妃。
「チッチッチ。もっと首の中を筒のように広げるのだよ」
ウォーーン。本家アルトリウスの雄叫びがアノール・ロンドの果てまで響く。
「そんな大きな声出せないよ」ノドをさすりながらベルカが舌を出す。
「キ、キュゥーン…」
「シフ。お前は気にすることはないぞ。才能のないベルカはともかくお前は私が選んだ相棒。いずれ獰猛になる」
「ワン!」
そう言って親指を突き出すアルトリウスには後光が差していた。
一人と一頭が去ったあと、影からひょこっとキアランが顔を出した。あの日以来、恥ずかしくてアルトリウスに顔を向けられないのだ。まだお礼も言えていない。
「い、行きました…よね」
「いつまでも隠れてないでありがとうくらい言わなきゃだめだよ。アルトリウスも最近会えないからって心配してる」
「ほ、本当ですか!?」
一瞬、キアランの身体が縦に倍になったかのように見えた。
「おほほほほ。心臓飛び出してるのが見える」
「ちょっと。からかうのはやめましょう。ほんと」
「でも心配してるのはほんとだよ。あいつの勘の良さはケモノ並だからさ。私たちがどんな目にあってるのか知ってるから、明るく振る舞ってくれてるんだよ」
「そうですか…」
「だから私たちは大丈夫だよって見せてあげないとね」
「はい」
「それにこの子のおかげでしばらくは安全だしさ」
そう言ってベルカが自信満々にお腹を突き出す。
休暇の後、ほどなくしてベルカは身ごもった。アノール・ロンド全てが歓喜にわいた。無愛想だったグウィンもかつての自信を取り戻したかのように精力的に働いている。
もしグウィンが今のままの穏やかな性格でいられたら、子供が産まれた後も自分は生きていられるかもしれない。ベルカはわずかな期待を抱いていた。
夜伽の日課がなくなって一番嬉しいのはどこまでも行けることだった。キアランさえついていれば、シースの書庫に入り浸れるし、寝室からはるか離れた塔から全景を見渡すことだってできる。
その日もキアランを連れベルカはアノール・ロンドを歩き回っていた。道中、嗅ぎなれないニオイの前でベルカは止まった。グウィンの聖堂にも匹敵する大扉。わずかに開き、匂いはそこから漏れている。
間違いない。
「これ、シンナーの匂いだよね?」
「ベルカ様。お身体に障ります。あまり長居してはなりません」
「誰か中毒の人でもいるの?誰?」
扉の隙間からベルカが呼びかける。返事はないが、耳を済ませると時折何かをこする音が聞こえてきた。
「ベルカ様」
キアランが止めるのもきかず、ベルカは中に入っていった。
シンナーと埃のニオイ。これはキアランの言う通り、母体に悪い。部屋は暗く、天井付近に一つだけある小さな天窓から取り込まれた光が、埃をプリズムのようにちらちらと照らす。
不意にベルカの身体が布の壁にぶつかった。違う。これは。
「誰?」
返事はない。グウィンよりもはるかに大きな灰色の巨人。真っ黒な法衣をまとった彼は、簡易な椅子に腰掛けたまま、指で絵の具を取り、無言で目の前のキャンバスに色を塗っている。
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