アイリスフィールは失った①
僅かに疲れを残す体を引きずって、部屋に入る。ドアと、そして自動ロックがかかるのを、音だけで確認。さらに上から魔術的な鍵を重ね掛けする。万全とは言えないし、攻め込まれれば容易く突破されるような簡易結界だが、それで問題ない。それは敵を早期発見する事、盗聴をされない事を目的にしているのだから。
どちらにしろ、ビジネスホテルの一室など使い捨て以外の何物でもない。こんな所で戦端を開くような馬鹿は、まずいないだろう。とは言え、可能性はゼロでは無い。そのための備えも、一応はあった。
狭い廊下を窮屈そうに通り抜け、ベッドと簡単なテーブルセットを置いただけで満杯になる部屋。フードを被った雁夜が椅子に座っており、その正面に切嗣も腰掛けた。少し勢いよく身を落としただけで、ぎしりと悲鳴を上げるそれ。安ホテルになど何も期待はしていないが、それでも宿泊費を考えればお粗末なものだ。
懐からたばこを取り出し、同席者に声も掛けずに火をつける。ニコチンをめいっぱい脳にしみこませ、思考力を無理矢理起こした。
続いて、二三度紫煙を吸い込み、零れそうだった灰を灰皿に落とした所で、やっと雁夜が口を開く。
「どうだった?」
「一命は取り留めるだろう。暗示を使って一般人に通報させ、対応させた」
事の始まりは、今から一時間前ほど。
その日は朝から、拠点引き払いの為に動いていた。結界を粉砕された城では、その場にいてもデメリットしかない。元々、大火力で爆撃を行っても、周囲に知られる恐れのない場所なのだ。それでもあそこに居たのは、事前に敵を察知でき、トラップ満載の道の通行を強制できたから。その二つの利点がなくなっても、居続ける理由は無い。
拠点の移動は選択肢の一つとして最初からあったため、それ自体はスムーズだった。弾薬も魔術礼装も、町中に分散して保管してある。大荷物を持って移動するのでなければ、撤収には気付かれても、次の拠点までは分からない。
次拠点周囲の最終調査を終えて、アイリスフィール達を呼んだ、その時だった。彼女から、血まみれの監督者発見を告げられたのは。
切嗣は、すぐにその場を離れるように指示し、雁夜を連れて現場に急行した。当然、治療や救出などが目的ではなく、事情の聞き出しのため。
雁夜を連れたのは、ある程度連絡を取り合った経験のある彼が居れば、スムーズだと思ったから。幸い、魔術的な攻撃手段のほぼ全てを失った代わりに、普通に動ける程度に体は回復していた。それで足手まといにはならないし、むしろバーサーカーという最高の護衛を得られる。
連絡があった通りの場所に行くと、人払いの結界に包まれた一人の神父がそこにいた。血の止まった右肩を強く握りしめ、悲痛な表情を浮かべる老人。
聖杯戦争だけの関係に、親しさがあるわけが無い。とは言え、名前と顔を覚えていないなどと言うこともありえない。書類と、あとは幾度か使い魔ごしに見た顔、それとは似ても似つかない、ただのくたびれた老人のようなそれ。顔のパーツは同じでも、生気というものがごっそりと消えていた。切嗣ですら、最初はだれだか分からなかったほどだ。
あとは、その場で雁夜に情報収集をさせ、先に帰す。事前に確保しておいたセーフハウスの一つを指定するだけだから、簡単だった。さらに事後処理を終えて、切嗣も撤退したのだ。
ちなみに、監督者を殺さなかったのは、単純に処理が面倒だからである。死体の片付けもそうだが、神秘の秘匿には彼のコネが必要だ。
「しかし、言峰綺礼か。大人しくしていたと思ったら、面倒な事をしてくれる」
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