ハーメルン
牢獄の暗殺者
第十三話:悪行の報せ

 時に悪行とはどのような行為を指すのだろうか。
 不正に金品を他者より奪う行為だろうか。
 言葉巧みに甘言を用いて他者を騙す行為だろうか。
 本人の同意なく強引に押し迫る行為だろうか。
 はたまた――人を殺す行為を悪行と指すのか。


「本当に二週間で治ったわね」

 呆れたような語調でそう言い放ったエリスは腕を組み、人間じゃない何かを見るような壁を感じさせる眼差しで患部を見据えた。包帯の交換もそれほど繰り返さずに解いてみれば、怪我を負った当初こそ痛々しい色彩が滲んでいた腕は、綺麗さっぱり完治していた。
 医師としての見立てでは二ヶ月は掛かると思っていた骨折。それをこの男は宣言通り二週間で完治してみせたのだ。いったいどんな手品を使えば治るのか、問い詰めたいという納得のいかない感情と、彼女の医者としてのプライドがせめぎ合う。
“冗談じゃない、これを認めたら世の中何でもアリになるわ”

「あなた本当は人間じゃなくて、違う生物なんじゃないの?」
「夢のある仮説だな。だとしたらなんだろうな、流行りの天使様か、それとももっと高位の生物かな」
「蛞蝓人間とかじゃないかしら、よくお似合いよ」
「言うに事欠いて蛞蝓かよ」

 あからさまに溜息を吐いて患者――アウルムは傷痕が残った左腕の反応を確認した。手を握ったり開いたりを繰り返し、その稼働に問題がないかの確認を終えると診察の為に脱いでいた衣服を着はじめた。

「わかってると思うけど、治ったからって無茶をしては駄目だから。あっという間に傷が開く可能性だってあるんだから」
「心配してくれんのか?」
「冗談、何度も来られちゃ迷惑だから言ってるの。ただでさえ最近は……」

 言葉を切ってエリスは思考を切り替える。いまこの脳裏に浮かんだ案件を口にすれば、きっと自分は目の前の彼を責めずにはいられなくなる。それが辛うじて理解出来たエリスは、自分を誤魔化すように手元の医療器具の整頓を始めた。

「ま、わかってるさ俺だって。人間相手ならもうこんな怪我を追う事も早々ないだろ多分」

 遠回しに“もう来るな”と突きつけたエリスに気にした様子もなく、寧ろ安堵の色さえ覗える表情でアウルムは家の扉に手を掛けた。扉を開き外へと出る最中、背中を突き刺す視線はお世辞にも患者を見送るような慈愛は欠片も無く、真逆の殺意にも似た剣呑なものであった。
 以前にも増して危険性と現実味を帯びてきた予感に、薄ら寒い悪寒を感じ、アウルムは背後の女医に気付かれぬよう注意を払いながら短く嘆息した。
“日に日におかしくなってきてるな、エリスの奴”
 先の憎まれ口を叩かれたときにも似たような感覚を懐いた。ふいに変質した彼女の瞳。古井戸のような、底に蟠る黒い情念の発露をアウルムは見た気がした。元々不安定な精神であった彼女が更にその不安定さに拍車を掛ける原因とは一体。

「考えるまでもないか」

 エリスの家から出て十分に距離を空けてから口にし、必然、脳裏に浮かぶ人物像には一言ぐらい恨み言を言っても許されるのではと免罪符を手にしたにしては浮かない気分のまま、進む足はリリウムへと向かっていた。


 黒羽の一見から二週間余りが経過し、牢獄中で噂されていた殺人事件の首謀者がアウルムである、という風聞は見事霧散していた。不蝕金鎖が非公開ではあるが犯人の処分をしたことをそれとなく噂として流し、その晩以降に怪死事件が発生しなくなったのが証拠となり噂は単なる噂として静かに身を潜めた。たったそれだけの事で済む問題だと、普通なら考えられないが、ここは牢獄。飯の種にもならない話が長続きするはずも無く、塵芥のように風と共に消え去っていった。

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