第八話:交錯する思惑
ジークの用意した新居は娼館街の外れにある、それなりにまともな家であった。さながら廃墟と間違えられてもおかしくなかった前の家よりは、数段上だと断言出来る。家財道具を運ぶのを手伝ったアイリスは、アウルムの家を見て唖然としていたが、新居に移り安堵したように平素と変わらぬ風情に戻っていた。
屋内は使われなくなって時間が経過したようにそこらじゅうに埃が充満していた。鍵を渡された時に『隠れ家の一つ』と言っていたのを思い出したアウルムは、時の彼方に忘れ去られたような室内が、隠れ家として看破されない為の措置なのだと気付いた。
隠れ家が、普段から使われるように生活の雰囲気を残していたら意味がない。殆ど無人の家が、常に掃除が行き渡っていたら違和感が生じる。だからこそジークはワザと空き家だと思わせる偽装をしたのだ。
「埃だらけで掃除が大変、アウルムもサボらないで手伝って」
「任せろ、掃除は嫌いだけどやるだけやってみよう」
余すとこなく掃除が必要になると判じたアイリスは、全室内の掃除が完了するのにどれだけの時間と労力が必要になるのかを理解したらしく、密かに眉根を寄せて腰に手を当てた。
娼婦だった彼女は、めでたくアウルムによって身請けされ、彼のモノとなった。だから当初のアイリスは、なにかとアウルムの世話をかいがいしくやろうとしていた。しかし、アウルムが欲しいのは召使いではない。彼女自身を欲した彼は、それを良しとしなかった。普通の少女のように、当たり前の考えで傍に居ろと命ずるや、途端にアイリスは肩の力を抜いた。それも思いっきり。
気が付けばアウルムは知らず知らずのうちに主導権をアイリスに握られ、命令される立場にまで危ぶまれていた。彼女も、なれない殊勝な態度では肩肘ばって疲れたのだろう。
掃除用具を持ちながらアウルムを振り回すアイリスは、それでも元が真面目故か掃除そのものは真剣にこなしている。対して主人であるアウルムは、二人で済むには広い家全ての掃除という逃れようのない現実に愁嘆すら漏らしかねなかった。念願叶って手にした彼女にこき使われ、面倒事は避けて通る彼がそれを嬉々と請け負うわけがない。
「なぁアイリス。頑張ったけど無理だった、ってのはありか?」
「寝てる間に噛みちぎって欲しいなら、そう言えば良いのに」
「ごめん、ちゃんとやる。マジで頑張ります! だから齧るんじゃなくて、優しく舐めてくれると……」
「まず先に、床が舐められるぐらい頑張って。褒美はそのあと」
憮然としながらも飴を忘れない命令で、目の前に餌を吊るされたも同然のアウルムは、俄然やる気を漲らせた。昨晩は色々とあり彼女が体力を消費していた事もあり、元住居で生殺しを味わっていたのを彼は忘れていない。欲に総身が滾り、慣れない掃除も敢然と立ち向かった。
しかしいくら体力があろうと、経験の少ない掃除の動きはどこか精彩に欠く。リリウムでも掃除洗濯は仕事の内だったので要領を掴んでいるアイリスはともかく、掃除なんて意味がないと放棄していたアウルムにどうして効率よく出来ようか。
開始十分にして彼の努力の果ては程遠いと思い知った。ならばアウルムに思いつく術はもう一つしか残されていない。
「よしっ、助っ人を呼んでくる! 二、三人ぐらいとっつ構えて連れて来るから、アイリスは適当に続けてくれ。疲れたらそこにあるもん飲み食いしていいから」
「ちゃんとすぐ帰ってくるなら良い。でも、サボったら引っこ抜くから」
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